tokiwaの日々

子供の学習や発達に関する考察とアイデアのまとめ帳

時限的お知らせ

いつもご覧いただきありがとうございます。
今日までまる1ヶ月、人生初のブログを毎日書いてきました(一部下書きに戻しています)。

生活の変わる節目に手探りで始めたブログですが、とにかくまずは毎日必ず書くことを自分に課して、三日坊主を恐れつつやってきましたが、読んでくださる方々のおかげで10倍続けることができました(笑)

書いているうちに、私自身がいま時間を使ってここで綴り、発信し、気づきを誰かと共有したいことは、主に子どもの学習や発達のことなんだと気がつきました。
読んでくださる方にとっての付加価値をできるだけ高めたく、一度内容を振り返り、私なりに丁寧に、加筆や編集をかけていきたいと思っています。
初心者の不恰好なものですが、糠床のように愛着のわいてきたブログです(笑)読んでくださる方にとって、もっとよいものにできたらなぁと思っています。

これからはまずは既存の記事を改良しながら、少しずつ新しい記事も追加していきます。
ブログの品質向上のための工事期間ということで、温かい目でお見守りいただければ幸いです。

上記作業と平行して、引き続きいつも拝読している皆さまのブログを楽しみに、勉強させていただきます。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

小1息子の友達の作り方が大人には理解できない話

こんにちは。本日もtokiwaです。

息子の小学校が始まってついに1か月が過ぎようとしています。

今日は、1か月、彼の交友関係が広がっていくのを見守った経緯を書きたいと思います。

皆はじめて会うお友達だった

我が家は昨年度の途中で今のマンションに区外から引っ越してきたため、当時保育園5歳クラスだった息子は転入前の区(隣区)の保育園に卒園までお世話になっていました。

そのため、入学時点で区内の幼稚園や保育園から上がってくる同級生のお友達を誰一人として知らないまま、入学以来6月までずっと休校になってしまい、「お友達ができるだろうか」と、本人も親も、手をこまねきつつドキドキが募るばかりでした。

オンライン授業では子供同士の会話なし

5月にはオンライン授業が始まりました。

何かあったときのPC操作の補助などのため、私が隣でカメラに映らないよう隠れながら仕事をしていました。

そうしてオンライン授業の様子をずっと見ていることになったのですが、リアルで一堂に会したことのない新しいクラスへの先生のご配慮や授業時間の短さもあり、子供たちが直接言葉を交わすタイミングはありませんでした。発言は挙手、先生に向かってするものでした。

それでもときどき、授業終了後に同じ幼稚園出身と思われるお子さんたちが「おーい〇〇ちゃーん!」と画面に向かって手を振り合う様子などがあり、本来ほほえましいはずなのに、「この中で知り合いが誰もいない子はうちの子だけかもしれない…もしこの輪に入れなかったらどうしよう…」と私は自分都合のヒヤヒヤを募らせていました。

息子本人はというと、挙手して当ててもらえた、みんなと「授業」ができたんだ、と毎日とてもイキイキしていて、振り返ると本当に取り越し苦労だったなと思います…。

「しゃべる時間なんてないよ」

ならし期間のようなオンライン授業を経ての6月、ついに登校が始まりましたが、最初の10日前後は、たしか2時間もせず帰宅していました。

「今日は休み時間にお友達とお話した?」

と聞くと

「休み時間なかったー」

と平然と返され、あ、それはそうか学校に2時間もいないんだもんね、とソワソワに冷や水をかけられた気持ちになる毎日でした。

「あれは後ろの席の友達」

縦割りのクラス別の分散登校をしていた時期、毎朝の通学時、よく会う子の顔がだんだんわかってきました。1年生はランドセルに蛍光カバーをつけているので、結果的にどの子が息子のクラスメイトだかがわかります。

「あ、チビtokiくんだー!」

と道の向こうから手を振ってくれる子もときどきいます。

「おはよう」

と息子も小さい声であいさつして手を振り返し、合流し、特に話がはずむわけでもないのですが皆で団子になって(密!)通学するようになりました。

帰宅した息子に、

「ねえねえ朝会ったお友達はなんていうの?」

と聞くと

「わかんない」

「え、でも知ってる子だよね?」

「うん、後ろの席の子」

「よく話すの?」

「うん、ときどき一緒に話すよ」

そう、息子は、言葉を交わして顔を認識しても(マスクで半分隠れているのにみんなすごい)、なかなかお友達の名前を覚えないのでした…

同じ頃、連絡帳に先生から連絡事項の追伸で

「お友達とよくかかわっています。ほめてあげてください」

と書いていただいているのですが、名前がぜんぜん覚えられないのにうまくいってるんだ、とうれしいと同時に「?」が頭に広がったものです。

「マイクラやってる子と約束した」

最近は、「クラスに僕みたいにマイクラやってる子がいた、『こんど〇〇作って』って言われたよ」とるんるんしています。

小学校にゲームは持って行かないし、オンラインでのやり取りもないし、一緒に遊ぶ約束をしたわけでもないので、頼まれたものを作っても見せ合う目途もないのですが、こういうやり取りって不思議ですね。本人たちに満足感はあるようです。

必殺「名前はちょっとわかんないけど…」

結果、三十余名のクラスに在籍する息子から聞いたお友達のフルネームはこの1か月で2人だけでしたが、どうもカウントできない形でお友達が増えているようです。フタを開けたら公文の教室が同じだったお友達、英会話が一緒だったお友達がいましたし、仲良くしてもらっていますが、お互い固執して凝り固まるわけでも閉じこもるわけでもなく、とても楽しくやっているようです。

繊細が過ぎる息子ですが、保育園・小学校とこれまで大過なく交友関係を築けているのは、きっとお友達が本人にとってよき鑑になってくれているということなのだろうなと思います。

ただ、保育園入園以来約4年ぶりに新しいお友達の輪の中に入り、うちの息子が本当に名前を覚えないヤツなのだということは驚きとともに重々理解しました。

驚いてはみたものの、こういったネットも然り匿名の世界で(私は幸運にも殺伐とした匿名世界に身を置かされたことがないので)「あなたがどこの誰かに関係なく、何が好きでどんな信念をもってるかで判断するよ」ということと、実は変わりないのかもな、とも、こういう記事を綴る身としてはふと思ったりもするのでした。

小1息子、家庭でも英会話の補講をしている話

こんにちは。本日もtokiwaです。

子どもの通っている英会話兼学童の施設で声掛けがあり、英検Jr.を受けようという話がありました。

紆余曲折の末に、我が家もチャレンジしてみることになりました。

受検決意までの経緯

のっけからついていけない

通っているほとんどのお友達は預かり(学童機能)が必要なため、4月の休校期間も毎日通って、英会話に触れていたそうです。我が家は家族全員で自宅にいたもので、本格的に英会話に通い始めたのが6月、しかも週2日だけ。

たしか、通い始めて2回目くらいで、先生からメールをいただいています。

「英会話の時間に講師の指示についていけていないので、一斉授業の時間の前に個別のフォロー授業をします。英検Jr.の受検については、今回は無理をせず、次回までにキャッチアップをご検討いただいてもいいかもしれません」

なる由。

足を引っ張っているようで申し訳ない…しかし個別授業をしていただけるなんてありがたいことです。受検については、おそらく施設としての合格率算出の問題もあるのでしょう、やんわり止められました。

その点は、我が家のスタンスとしては「英検をとっていなくても今は全然OK」というものなので、お世話になっている施設の言う通りにと考え、英検受検も見送りの判断をしました。

我が家の英語学習の考え方については以前こちらのブログに書いてみました。

しかし本人は楽しいらしい

たびたび書いてきた通り繊細が過ぎる息子なので、英会話の授業がわからない、個別指導に自分だけ呼ばれる、等々の出来事が重なると、もしかして通うこと自体イヤになってしまわないかな、としばらく心配しながら様子をうかがっていましたが、本人は週2回の通塾をとても楽しみに、何なら週5日通いたいくらいの前のめり感を打ち出してきていました。

その様子を見て、英語そのものの獲得ががスイスイいっていなかったとしても、お友達と楽しく習い事に通って、継続的に英語に触れてくれているだけで親としては今は十分だと思っていました。

ところが2週間くらいたった後、また先生からメールをいただきました。個別指導をいただいている効果でしょうか、

「本人のやる気がとてもあり、一生懸命取り組んでいるので、キャッチアップのための宿題をだします。おうちで見てあげてください」

「英検についても、このペースでいけば合格の可能性もあり、よろしければ受検について再検討ください」

とのことなのです。

正直、塾からの翻意は思いがけないことでしたが、そう言っていただけるだけ短期間で成長したことはとてもありがたく、本人の学習意欲も強いことだし…。

実は、最初に受検見送りを打診されたとき、親の気持ちの整理としては「学校が始まったばかりだし、平日の国語・算数の自宅学習の習慣づけに注力してもいいな」という方向でもあったので、子供に説明する以前に自分の気持ちの切り替えが大変でした。

結局受検を打診すると本人はノリノリだったので、今の自宅学習ポートフォリオはこれ(国・算・英会話)がベストだなと思っています。

自宅補講でキャッチアップなるか

幼児英会話の驚異。発音が親とは別物

息子の英語体験は、実は保育園までさかのぼります。

保育園に英語ネイティブの先生がおられ、4・5歳クラスのときは、希望者で週2回、45分ほどの英語の授業を受けていたのです。

とはいえ2年たっても簡単な英会話もおぼつかない感じだったのですが、先生からのレポートと、日本語そのものが完全でない幼児の皆さんからの聞き取りを総合すると、モノの名前や、アルファベットの綴り方による発音ルールを、身体を動かしたりカードゲームを繰り返しながら重点的に教えてくれていたようでした。

そのため、今回親子で一緒に初めて英検Jr.の受検対策テキストを開いたとき、息子本人の知っている単語の発音の正確さと、初見の綴りの発音を当てにいく様子には面くらいました。

私自身は学校教育とZ会でしか英語を勉強していませんが、独学でニュースを聴いたり社会に出て仕事で英語を使う中で、発音にはかなり苦労し、努力したぶん自信をつけてもいたのですが、息子は(おそらく保育園の同級生も)まったくそれとは別物、ネイティブの領域でした。どうもありがとうございます、保育園の先生…。

問題は動詞

英検Jr.(ブロンズ)では、主としてリスニングによる理解度を問われていくようなのですが、ためしにまず息子と一緒に対策テキストの付録CDを聴いてみると、ものの名前(名詞)はよく聞こえているようです。

しかし、保育園で英「会話」にあまり注力していなかった現れなのか、述語の部分(好きだ、食べる、必要だ、持っている等)がほとんど分かっておらず、それゆえに正解の選択肢にたどりつけない状況でした。

「これは動詞と、読まれるダイアローグ全体の理解を確認しながらいかないと勉強にならない」

そう結論付けた私は、CD全編にわたって、一つダイアローグが読まれるたびに一時停止を押し、

「今のお話、どういうお話だった?」

「チビtokiが聞こえた言葉はなにかあった?」

という問いかけと解説を繰り返す人海戦術に出ました…。

動詞の意味を伝え、本人が自力で聞こえた主語と名詞にその動詞を加えて、最終的なダイアローグの訳をさせています。

おまけ:三単現や複数形はまだ不要かも

絵をみて、男の子や女の子の動きを説明している複数のダイアローグから正解を当てたりする問題も多いのですが、そうなると三単現表現もありますし、複数形も出てきます。

しかし、聞いて理解することさえできれば、本人が正確な文を生成することを求められるわけではないので、いったん、そういった細かい点はスルーして教えています。

 

受検は7月半ばの予定です。

宿題が少ない日と週末を中心に息子はCDの聞き取りを頑張っています。続報をまた書きたいと思います。

小1息子の国語力をアンパンマンが押し上げる話

こんにちは。本日もtokiwaです。

保育園2歳児クラスの娘に、ここ数か月アンパンマン旋風が巻き起こっています。

それを一番近くで見守るのが小1息子。

最近、息子がアンパンマンから得たことが国語学習において貴重な気がするので、このテーマで書きたいと思います。

アンパンマンと今更出会った息子

アンパンマンを我が家で特に意図して避けてきたわけではないのですが、共働きでアニメの放送時間に家にいなかったり、保育園でも「みんなアンパンマンより電車が好き(近くを新幹線が走っているから)」みたいな土地柄でもあったため、息子はアンパンマンにドはまりするという経験をしないまま、そこそこ大きくなりました。

いっぽうの娘は、なぜかちょこっと動画で見かけたアンパンマンショーにいたく感銘をうけたらしく、とにかくアンパンマンに反応するため、それを見た祖父母から贈られるおもちゃもアンパンマングッズ、そうしてアンパンマン愛が加速した娘のために、結局我が家でもアニメを録画予約して、毎日のように再生することになりました。

そうすると、一緒にいる息子が生まれて初めてアンパンマンのアニメを見るようになり、6歳の彼としては興味深いことがいろいろあるようなのです。

息子によるアンパンマン考察

大人が何か入れ知恵をしたわけではないのですが、巷で言われているあれこれ、子供心にも「あ、やっぱり気になるのね…」ということがわかります。

アンパンマンの古い顔

息子曰く

アンパンマンの古い顔ってどこに行くの?やっぱりあれは消えると思うんだよね」

「消えるためにはさ、バタコさんが新しい顔をすごい勢いでぶつけなくちゃいけなくて、外の戦いのシーンではそれで古い顔がどこかに飛んでいくけどさ、パン工場の中ではどうしてるんだろうね」

「顔が欠けるとヨロヨロ飛んで帰ってくるけどさ、全部分けちゃったらどうなるの」

実体はやはり顔(頭)に宿っていて、古い顔のことは考えてはいけない、という社会通念にちゃんと追いついたようです。

バイキンマンは何でも作れる

息子曰く、

バイキンマンは何作ってもだめだね、すぐ壊れちゃうね、でも作ってるんだよね全部、自分で」

巷にもバイキンマン=最強のエンジニア説が流れています。子供もバイキンマンの背中を見て何かしら感じるものがあるかもしれません。

もしかしてドキンちゃんが?

息子曰く

「てゆーかさ、ドキンちゃんはいつでもバイキンマンに全部やらせてさ、これずるくない?今気づいたんだけどさ、アンパンマンのなかで一番悪いのはドキンちゃんなんじゃないの?」

「でもさ、しょくぱんまんのためにアンパンマンたちを助けたりもするんだよね、そういうときはいい子なんだよね」

バイキンマンにしろドキンちゃんにしろ、悪役がおもしろくてかわいいのが、アンパンマンが長く愛される所以ですよね。

番外編:これも山ちゃんなの?

息子、大いに戸惑って曰く

「お母さん、ジャムおじさんとチーズとかばおくんは同じ人っていうのはやっぱり嘘じゃないの?だって、声が全然ちがうし、その3人でしゃべってるときだってあるんだよ。一人でやるのは無理だよ」

仮面ライダーゼロワンの説明をしてる人もジャムおじさんなの・・・?」

美女と野獣の野獣もジャムおじさんなの・・・?」

ためしてガッテンジャムおじさんなの・・・?」

魔女の宅急便のパン屋さんもジャムおじさんなの?パン屋さんだから?・・・って、あのパン屋さん全然しゃべらないじゃん」

物語読解の視点が少し育ったような気がする

うちの息子は図鑑が大好きで、昔話や童話を読みふけってきたタイプではないのですが、今後は国語力アップのためにも物語をもっと楽しめるようになってほしいと思っています。

主人公の秘密や悪役の気持ち、物語全体を引きで眺めて相関関係を面白がることに目がいくようになって、なんだかアンパンマンにとても助けられているなと思います。

親も疲れているときに、あの素直でやさしい世界に癒されることが多いです。

二人とも何歳まで楽しんでくれるかわかりませんが、年相応の視点で長く楽しんでくれたらほほえましいなと思っています。

子供の叱り方で悩む話2

こんにちは。本日もtokiwaです。

小1にあがった息子を叱らなくてはいけない機会がとみに増え、これまでにもこんな記事を書いてきました。

帰る方向を間違えてしまったこの日。

「今日は初めて学校から英会話に行ったけど、間違えずに集合できた?」

と帰宅した本人にカマをかけると

「うん!大丈夫だった」

と答えるのです。

「本当に?」と目をのぞき込んだら、こちらの目を見据えて「うん」と返してきました。

これはかなり深刻だな、私の育て方ってそんなに良くなかったのかな。と真っ暗な気持ちになりました。

(それで結局がっつり叱ることになったのですが、やり取りには特に予想外のリアクションがあったわけでもなく、また関係するテーマがあれば書きたいと思います)

 

子供を「叱る」ことについては、どこの親御さんもそうだと思いますが日ごろあれこれ思いを巡らすことが多く、現在の悩みや自分なりの整理を書いておきたいと思います。

親と子供の組み合わせ

子供のタイプがあるのかもしれない

親になってから「親の接し方が同じでも、それぞれの子供によって、響き方もリアクションも、生まれ持って違うものがあるんだな」ということを個人的には確信しています。

我が家よりも親御さんのしつけが厳しいおうちのお子さんが、いくら叱られても鋼のメンタルなのかすこぶる自由奔放だったり。

うちの子供たち2人を比べても、しょんぼりしたら半永久的にしょんぼりしている息子、5秒前のことは忘れてぐいぐい来る能天気(?)な娘と、同じ親から生まれて同じ屋根の下で育っているとは思えないほどの気質の違いを感じます。

繊細で慎重派(?)の息子

これも先日の記事で、息子が保育園時代から繊細で「少し接し方に注意が必要な子」だったことに部分的に触れました。

息子の繊細で慎重(というかこわがり)で一筋縄でいかないところは、小さいころの私自身にそっくりだなと思っています。私も小さい頃は、本当に些細なことで悩んだり判断がつかなくなったりして何時間もめそめそすることで日常生活がストップし、とうとう母が「なんでそんなことで泣くの」と泣いたことがありました。親になって振り返れば、きっと母は「この子普通じゃない」とか「自分の育て方の何がいけなかったの」と戸惑っていたのだと思います。

「子供の立場」だった自分の声に耳を傾ける

私自身は、息子の難しさが幼少期の自分と重なることもあり「そういう気質の子もいて、出発点が違うのは仕方ない」「プロセスで苦労はするが、努力と工夫によって普通の社会生活に合わせていくことができる」「それでも最悪合わせられないときの折り合いのつけ方にも工夫の余地がある」という実感があるため、(すべてがわが子にも当てはまるかはさておくとしても)気を付けることこそ多いですがこれで泣くほど悩むことはありません。

ところで、私は子供だったころ、日中は祖母の家に預けられていたのですが、夜に仕事から戻った母が、いつもここぞとばかりに厳しくて嫌だったことをよく覚えています。もちろん母も叱りたいばかりではなかったはずですが、子供と共に過ごせる短い時間の中で少しでも「よく子育てしたい」と願えばこそ、厳しく言わなければいけないことばかりでタイムオーバーになってしまっていたのだと思います。

価値観も独特のこだわりが強い人でした。おそらくこれも子供の幸せを思えばこそ「身の安全」「周囲からの評価」「友人関係」など、あらゆることで損得勘定をすることを子供に求める人でした。これは両親ともに共有していた価値観だと思います。

そのため、私自身の両親への反抗期はとても長いものでした。自分が親になったとき、子供を思っているにも関わらずそういう親子関係になるのは、とてもやりきれないと思っていました。

口を出しすぎる母の自覚

でも、いざ子育てに身を置くと「正さねばいけないことがあった時に言わなくていいのか?いま、私は厳しく言わないことで、子供に嫌われないことを優先しようとしていないか?」と自問自答する機会はあまりにも多いです。

結果的に、私は口うるさいタイプの母親になっていると思います。

勉強にこだわる理由

上にリンクを貼ったり書いてきたとおり、息子は保育園のころ、今に輪をかけて「扱いの難しい子」でした。保育園で新任の担任の先生にあたった年は、療育を勧められ、知能検査を受けたこともありました(結果的に大学病院で「療育への相談は不要」との判断を受けました。この辺はまたそのうち…)。

保育園は、子供たちをマスで効率的にマネジメントすることがある意味どうしても必要で、標準的ではないことで子供に負のレッテルが貼られることが避けられない面がありました。(実際先生方にお手数もかけてしまったと思います)

いっぽうで、私と夫は、本人の恐竜や古生物の知識、その吸収の仕方、記憶力を見ていると、伸びる部分もありそうな気がしていました。

本人の自信を守りたい、その一つの手段として活路が見いだせる、そもそもできて損なことがない、という気持ちで、勉強には意図して口うるさくしてきたと思っています。

しつけも言うしかなくなった

小学校に上がると、提出物のやりとり、持ち物の準備、宿題、タイムマネジメントなど、一気に「自分ですべきこと」が増えました。これもいわゆる「未知の世界」なので、今は閉じこもりこそしませんが、本人には大きな負荷がかかっていると思います。

できることがあれば助けたいところですが、その性質上、「自分で」しなければいけないものです。

結局、勉強のことも生活(しつけ)のことも口うるさく言うことになったな、と後から気づいた格好です。

こうして今や「なんでも口うるさい母」に仕上がった私なのでした。

親はポリシーに嘘をつけない

よく「なんでも先回りして言うと、自分で考える力が育たない」「自分で気が付くまで根気強く待ってあげれば、間違いに気が付いてそれを正す」といわれます。

私は自分自身の経験をもってこれに疑義を呈するものです。(もちろん、経験をもってこれに賛同する人もたくさんいると思います。)

「くどくど重ねられた小言が思い出されて、新しい場面でも注意の仕方を自分で考えた」「ランドセルの中がぐちゃぐちゃで宿題が破けたりもしたけど、面倒くさいから6年間汚いままだった」みたいにどちらの反証もいくらでもあるもので、それぞれの子供の気質が違うという前提に立てば、一概には言えないと思うのです。

結局、親にできるベストは、自分が正しいと思うポリシーを反映した子育てでしかないと思っています。

親子の信頼関係

口うるさく言う、というのが結局私たちのやり方になっていて、それは私や夫が「そうすべきでない」と思わなければ変えられない、変える必要もないと思っています。

叱らなければいけないときにはもう遅い?

ただ、「叱られるまで、子供が正しくできなかった」という事実については、それまでの私の接し方、背中での示し方が十分だったかどうか、いつも悩んでしまいます。

すべきことはあくまで「叱ること」「口うるさくすること」ではなくて、「できるようにすること」であり、親の怠慢や判断ミスで「叱る」「くどくど言う」一辺倒になった時には、信頼関係に響くのだろうなといつもどこかでヒヤヒヤしています。

 

「子供に幸せになってもらいたい」と考えるとき、親の自分の利益は度外視して、他人である子供のことだけを考えていると思います。

そうして、あくまで自分とは別の人である子供を育てていて、一人の人として子供を尊重しつつも、手渡していかなければいけない(本人がその大事さをわかっていなくても、無理にでも手渡さないといけない)ものがまだまだ山ほどあると感じます。

「無理にでも受け取ってもらうものの選別」「渡し方」には、これからも悩むと思いますが、せめて自分に嘘のないように考えて行動していきたいと思います。

小1息子、入学初期の国語への取り組みの話

こんにちは。本日もtokiwaです。

昨日の続編を書こうと思います。

漢字はじまる

小学校に通い始めるはずだった4月。公文のひらがな・カタカナ練習はひととおりはマスターした様子の息子。勉強量(時間)そのものをきちんと確保する習慣をつけたかったこともあり、ドリルを購入して1年生の漢字練習を始めました。

1年生の学習内容は、ひらがなを一から覚え始めて、年度末までにカタカナ・漢字と進んでいきますが、結果、年間で習う漢字は80字だけ。1日5字ずつ練習していったら、2週間ちょっとで一周してしまいました。夫は「お、すごいね~。さっそく2年生のに進んじゃう?」とノリノリですが、あまりに何のひっかかりもなく書き取り練習が進んでいったことをふと疑問に感じ、ためしに「木」という漢字を指して息子に聞いてみました。

「この漢字、なんて読む?」

「もく」

「ほかには?」

「え?知らなーい」

確かに、漢字の形は書けるようになりました。でも、

  • 一字ごとに意味がある
  • 読みも複数ある
  • 送り仮名とセットで覚える必要がある

このようなことをすべて押さえないといけない漢字は、ひらがな・カタカナとくらべてずっと「1字の習得にかかるエネルギー」が大きいとわかりました。

漢字の使われた文章に興味をもって触れ、読み書きを繰り返してようやくものになると思ったほうがよさそうでした。

この結論に達して、我が家は漢字ドリルを問題量の多いものに新調し、練習を「全文をノートに書き写す」スタイルに変更しました。

これから書く、国語のほかの勉強ととりまぜて、余裕のあるときにドリルを開いて、少しずつ繰り返し練習をしている状況です。

国語学習の全体像

「字の練習」の話ばかりしてきましたが、そもそも国語は何を勉強する教科なのだっけ…。

小学校では「言語」「話す・聞く・書くこと」「読むこと」という分類をしているようです。なんとなくわかるような気持ち反面、テストや中学受験を考えると、もっとそこに対処しやすい、「点数を稼げる」形で学習のイメージをつかみたい。

調べてみると、公文では国語の学習内容を「文字・語彙」「文型・文脈」「読解」に分類していました。これならテストの問題のイメージも湧いてきます。

それと同時にふと思いました。

  • 文字・語彙は公文で学べる。でも、公文じゃない学び方もたくさんありそう
  • 文型・文脈と読解は、問題を解くより先に、「文章慣れ」「読書慣れ」が必要なんじゃないか

公文をどうする

そう思いはじめると、国語学習について毎日の反復練習にこれだけの時間とコストをかけるのがベストなのか、大いに迷うようになりました。

実は、今、我が家ではあと1か月でくもんの国語をやめて、読書量を増やす計画を立てています。

この試みが奏功するか、また様子がわかってきたらこちらのブログにも書きたいと思います。

 

取り組み途上の内容で、尻切れトンボになってしまいました。

子供の勉強に付き合うといろいろなことに気づいて、親の興味はつきません。子供が同じように面白く思ってくれるか、少し心配ですが。

基本的には、恐竜しかり、「親が楽しさを感じて心を込めて伝えられるものは、子どもの心に響く」と感じているので、心底おもしろがって一緒にやっていきたいなと思います。

小1息子、入学前の国語への取り組みの話

こんにちは、本日もtokiwaです。

突然ですが、国語と算数、好きだった教科はどちらでしょうか。

私は断然国語派でした。

国語は例えばテストでも、算数に比べて「文章題の正解の幅がちょっと広い」「部分点がとりやすい」ところがある気がして、捉えようによっては簡単な教科にも思えてしまい、息子の小学校入学にあたって算数ほどピリピリしなかったのですが、最近少しずつ力を入れ始めました。

小学校入学までにどんな準備をしたか(遅れや反省も含め)、小学校に入学した後にブーストしたのはどんなことか等、数日に分けることになると思いますが書いていきたいと思います。

国語学習の皮切り「ひらがな・カタカナ」

小学校入学後のオンライン授業を見ていて「やはり」と再認識したのが、小学校入学段階では、学習指導要領的には「ひらがな・カタカナを読み書きできることは前提としていない」ことです。みんながひらがなを初めて練習する想定で授業が進んでいきました。

いっぽうこれは肌感覚ですが、周囲を見渡すと、小学校入学時点でひらがな、カタカナはひととおり読み書きできます、というお子さんが多いような気がしています。

息子が赤ちゃんの頃から、なんとなく周囲のその雰囲気を感じとっていた我が家も、入学までに字は一通り書けたらいいな、ということを仮の目標に据えていました。

習字で「にら」と書かせる保育園

息子は私立の認可保育園育ちです。

前身が幼稚園であったそうで、園生活での習い事やイベント、いろいろな経験をさせてもらいました。

5歳クラス(年長)は、習い事のなかに「お習字」がありました。息子がまだ入園したての頃、廊下に貼りだされる5歳クラスの立派な作品の数々を見て「うちの子、5歳になってもこんなのきっと書けない…」と不安になったものです。

しかしそこは園できちんと段階を踏ませてくれており、2歳クラスも年度末になると「自分のお名前を読めるようにしてください」という指示が出、3歳クラスも後半になると本格的にワークを使った「ひらがなの練習」が始まりました。

入園させる前にはこんなカリキュラムがあるとは全く知らず、「小学校までに」などとのんびり構えていた母は驚きと焦りを感じました。案の定、ある日先生から「ちびtokiくん、ワークのとき、マスをなぞってばかりいて字の練習をしてくれません」と比較的まじめな注意を受け、白紙(に見える)のワークを返却されました。

わが息子、なにか新しいことや想定外のこと、未知の出来事があると、人の話を聞かず己の精神世界にこもりがちな面があり、幼い頃は今よりなおそれが顕著でした(それはそれでまた別の記事に書くかもしれません)。

どうしたものかと思いましたが、幸い、時を同じくして恐竜への興味がめざめ、図鑑を読みたいがために字を覚えるようになりました。ワークはしばらくマスばかりなぞっていましたが、目的は達成されたので結果オーライです。

4歳クラスでは「他人が読めるかギリギリ」「消去法で当てにいけば読める」みたいな字を書いていましたが、読むことはほとんどできるようになっていたと記憶しています。そして5歳クラスでは、往年の先輩方や同級生と同じように、楽しくお習字ができるようになりました。春、初めての作品の掲示。「にら」「にら」「にら」…と貼りだされたときにはクラスの保護者LINEがちょっとざわつきましたが。

年長で公文の国語を追加受講

いくら自分たち家族のなかで「小学校までに字を覚えてくれれば」と仮に決めてみても、結局、一緒に生活している保育園のお友達の進度が早ければ置いて行かれる形になってしまいます。うちの息子の場合は性格的にも、上に書いたように「少し気を付けないといけないところ」もあり、もし一人置いていかれる状況になれば極端に自信をなくして閉じこもってしまうであろうことは容易に想像がつきました。

息子は、保育園の4歳クラス在籍時に公文の算数を始め、最初の1年は算数だけでも苦労したのですが、毎日の公文の学習リズムがつかめたと感じたこともあり、5歳クラスに進級したときに国語も始めようということになりました。

保育園での学習が先行していたため、ほぼ「読める」状態からのスタートで、1文字1文字の練習、単語の練習を繰り返し、おそらく1年近くひらがな・カタカナをやっていたのではないでしょうか(ブログを書いてみたらもう記憶があいまいなことに自分でびっくりしています…参考情報を探しに来られる方がいらっしゃったら申し訳ないです…)。短い文章の音読と並行して、ずっと文字の練習が続いていました。

母は「とめ・はね・はらい」警察

思ったより長い期間がかかったとはいえ、停滞はすることなく公文の学習は進んでいきました。当時、馬車馬会社員で忙しくしていたこともあり、「算数だけは!」と算数の学習は父か母のどちらかが毎日確認するものの、国語に関してはプリントをやっている姿が確認できれば出来栄えまでは細かく見ない状態でした。そもそも、文字の練習に正解も不正解もなく、練習さえしていれば問題はないと思っていたのです。実際、公文のテストを受けて合格し内容的にも前進していたので、客観的にも「字が間違っている」わけではなかったと思います。

遊びの中で、絵とともに字をかいていることも多くありました。息子の筆跡が定まってきたなとも感じていました。

ですが、小学校入学後、初めて配布された小学校の自宅学習用プリントの大きなマスに書かれた字を見た瞬間、母の中で違和感が広がりました。

「この子、ほとんど全部の画をはらってる!」

筆圧の弱さは私のほうでも認識していたのですが、それが一画一画のはらいにつながっていました。

「現在では、とめ・はね・はらいは細かく指導されない、テストの採点上も甘くなっている」と聞いたことがあります。ですが、約30年前に厳しい指導を受けた記憶が鮮明に残る身としては「この字ではバツになる」という心の内なる声をどうしても無視できず、「採点が甘い」と聞かされても「でもどこまでがOKだかわからない」という不安にしかつながりません。

自粛でカンヅメの中、母は唐突に「とめ・はね・はらい」警察と化し、マンツーマンで「とめ・はね・はらい」の概念そのものを吹き込むところから始め、違反の摘発を繰り返し、「?」な顔をしている息子の手をとり修正し、ほめておだてて、本人がお絵描き感覚で字形にこだわることができるところまでなんとか持っていきました。怒涛の5月でした。

今では筆圧は少し強くなったと感じています。

ただ、字形は少し気を抜くとあっという間に崩れるものです。あまりくどくど注意ばかりでもよくないのでは…という思いもあり、よい字を見逃さず、面倒くさがらずに逐一誉める、ということを普段勉強をみている私がどれだけできるかが勝負な気がします。

 

国語学習は、文字の面では漢字、そのほかにも読解・文法がその後に広がっています。我が家の国語学習の取り組みと進捗について、また続きを書いていきたいと思います。