tokiwaの日々

子供の学習や発達に関する考察とアイデアのまとめ帳

家庭について夫と話すこと

本日もtokiwaです。

私は専業主婦になったり、再就職したり転職したり、会社員ではない働き方を模索したりと、割と思ったことをそのまま試す人生を送っていると思っています。

誰のおかげで、ということを書いていきたいと思います。

(よろしければこれまでのブログもご覧ください。)

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私には仕事をもつ夫と、2020年6月現在小1の息子と保育園2歳児クラスの娘がおり、私の仕事や生き方の選択は、自分だけに影響を与えるものではありません。

「家庭を優先したい」と言いつつ、私が仕事や働き方を変えれば彼らの生活はもろにそのあおりを受け、それは仕事に充てられる可処分時間であったり、家計であったり、保育園に通うかどうかであったり、とさまざまです。
生活が変化すること自体が負担になってしまう面もあると思っており「私だって都度ベストを尽くしたのだからいいでしょう」とは到底言えない申し訳なさも残っています。

仕事や生活を変えることについては、当たり前ですが、必ず夫と相談を重ねてきました。(余談ですが夫のキャリア選択についても、同じように相談をしてもらっていると思います)

仕事や生活を変えるとき、夫婦でどんな整理をして、どのような判断や意味づけをしてきたかを書いていきたいと思います。

ほぼ毎回議論すること

本当は誰のために転職するか

「今の仕事を続けられない」と思うとき、その原因がたとえば「家族との時間がとれない」ことの場合、「それを解消すれば家族にとってプラスだ」と思うからこそ、転職をしようと思い立ちます。ですが、それによって収入が減ってしまうような家族のデメリットもあります。

私が「時間的余裕を得ること」と「お金を稼いでくること」、本当はどちらが家族のためになるの?という疑問に突き当たります。

私個人の気持ちとしては「疲れた」「かわいい子どもともっと触れ合いたい」「毎晩ちゃんと寝たい」など、時間的余裕を希求しています。「家族のため」と「自分のため」が混在して、転職の判断をしようとしているわけです。

もし判断がすり合わなかったら

ですが、もし家族が「稼げる今の仕事で納得して、このまま続けてくれたらいいのに」と思っていたら、私の転職という選択は実は自分にしかメリットがなく、家族にとっては嬉しくないものになってしまうな、ということが心配になるのです。

健康や精神上の問題などが顕在化したのなら、こんなことを言っている場合ではないと思うのですが、私の場合はラッキーなことにそういった問題にまで発展したことがありません。「仕事に行けなくなってしまいそう」とは思っても、実際に行けなくなるまで追い詰められたこともありません。
おそらく限界の手前でブレーキを踏み、方向転換までしているからだとは思うのですが、逆に言えば「問題が深刻すぎて限界だ」「新しい選択がマストだ」とは言いきれない状態です。

夫には、こういった迷いをいつも正直に伝えて意見を求めています。

もし夫に「実は転職は家族にとって百害あって一利なしの判断だ」と言われたら、これまでとは全く違う意味合いではありますが、新たに「転職しない」意義だけは見つかります。「やりがい」は一旦捨てて「とにかく続けさえすればいい」と、ぶら下がり社員になってでも継続すれば、家族との時間も今より確保して、収入をある程度キープすることができそうな気もします。
そうなると今までとは違う社会的なつらさが生まれるわけですが、それは追って、そうなったときに何かと天秤にかけるべきことです。そうして切り分けて切り分けて、順に対処していくようにと考えていました。

気になっているのはいつも同じこと

転職に限らず、再就職のときも、会社員を辞めるときも、気が付けば

「いましようとしている判断は私にとってプラスだけど、家族にとっても本当にプラスだろうか」という趣旨の相談をしています。

「独りよがりだと思われたくない」という思いも「家族が幸せじゃなかったら結局自分も幸せじゃない」という思いもあります。両方とも手放しに美しいとばかりは言えないと思いますが…。
(とくに後者の思いについては世間に賛否両論あることも理解しています。個人的にもまた別の記事にしたいテーマです

※追記:書きました)

夫の回答

夫はいつも、丁寧に整理をしつつ回答をくれます。

明確に言われたわけではありませんが、振り返ると常に「各自にあるべき自由」と「家族のためにそそぐ力の総量」に着目して考えているのだなと思います。

自由は夫婦それぞれに

再就職をしようとしたときに言われたことで、その後も彼は常にこの前提にたっていると感じるのが「俺は自分で選んだ仕事をしているから、tokiちゃんが選ぶ仕事を止める筋合いはない」ということです。

同時に「自分が選んだ仕事だが、もちろん好きなことばかりではない、嫌なことも多いよ」とも。

「好きなことをする」と「自由にする」は、違う意味をもつ場合もあります。

夫が「好き」ではなく「自由」にこだわるのは、おそらく彼自身も、節目節目で「好き」なだけでは選べないキャリアの選択に迷い、家族のことも考えながら「俺はこれでいい」と思える解を探ってきたということだと思います。
また、私が同じ気持ちで迷うのを、無意識的にわかってくれているのではないかなと考えています。

家族のためにそそぐ力はいつも変わらない

コロナ騒動のさなかに会社を辞めた後「もっと家族といたい」「家族を一番優先したい」という思いから最終的に「もう会社員として働くのはやめようかな」と考えたときは、「これはもしかして私にしか得がないのでは…」とかなり深刻に悩みました。

自分がより「好きな」選択をし、その結果収入が大幅に下がる私としては、家族に与える影響がとても心配だったのです。

夫はまず「これまで外注していたこと(保育と教育)を内製で担って、しかも在宅で仕事まですることは『楽』にはならないと思う」と言いました。

実際、これまでにも専業主婦を経験している身ですが、「家で子育て」するときの苦労と「会社で働く」ときの苦労は、多くの方の知るところかもしれませんが、中身の性質が全く、それはもう全く異なります。
私自身、幾度も比較を試みましたが6年間成功していません。「長距離のアスリートと短距離走のアスリートはどちらが優れているか」というお題で議論するくらい、無理だし不毛だと個人的には考えるようになりました(これも今後記事にしたいです)。
だからこそ逆に「私は自分が楽をしたいだけ?」といくらでも不安になることもできてしまうのです。

結局、家庭のためにせねばならないことー我が家の場合は特に「日々の子育て」と「今後のために必要な教育資金の貯金」が変わらない中、そこへの夫婦での取り組み方を変えるだけ。目指すゴールと、お互いそのために必要な力の総量が変わらないという認識に、彼は立っていたと思います。

私の軸の顕在化

「好き」と「自由」の違いの話をしたばかりなのに「好き」を持ち上げるようにも聞こえるかもしれませんが、私はといえば、家族のことを考えつつも「好き」「やりたい」という気持ちの強さにこれまでよりもこだわらないと、永続的に仕事を続けることはできず、結果的に家族のためにもならない、「自由」に含まれる責任も果たせない、ということを確信しつつありました。

働いて収入が増えるほど自分自身の幸福度が下がったこともあります。定時で退社できればどんな会社でもよかったわけでもありませんでした。やりがいや社会的意義を示されても腰が引けてしまった仕事の打診もありました。

「専門性があって公共性も高くて単価のいい仕事」ではないかもしれないけど、「これならずっとやっていられる」という感覚を頼りに行動してみたら、だれかの小さな楽しみに役立つことで、細い道が続いているかもしれない。私も家族も幸せかもしれない。

一周回ってそんなことを考えております。