tokiwaの日々

子供の学習や発達に関する考察とアイデアのまとめ帳

生き方選択の「幸せ」を細かく分解してみる話1

こんにちは。本日もtokiwaです。

先日「家族が幸せじゃなかったら自分も幸せじゃない」という思いにブログで触れましたが、この感覚については自分でも少し取り扱いに注意が必要だな、とたびたび思っています。

「生き方の選択(転職など)」に関して感じる幸せについて、これを機会に思うところを整理したいと思います。

「親子の話」と切っても切れない

「自分の人生をどう生きていく?」という命題に具体的に直面するのは高校生や大学生あたりであることが比較的多いと思います。

高校生で就活するなら就きたい仕事(働きたい会社)そのものを考えることになりますし、大学に進学する場合は、将来就きたい仕事から逆算して志望先の大学・学部を選択することが求められます。

もちろん高校生(や中学生)が「大学(高校)に進学するか、就職するか」の分岐で悩むこともあります。

摩擦が幸せもすり減らす

いずれの場合も、若い本人が独断で進路を決定して手続きを完了することは現実にはほとんどなく、家族(親)と何らかのコミュニケーションをとると思います。

コミュニケーションの形もさまざまで、本人の意見に対して親が

  1. 完全に賛成
  2. 総論賛成、一部異なる「助言・提案」
  3. 大幅な「助言・提案」(考え直せば?というもの)
  4. 否定して別のものを「指示」
  5. 別のものを「頼み込み」

することなどがありうると思います。

親子の意見に相違がない場合は、特に今日の記事のテーマで取り上げるべき問題がないと思うのですが、取り上げたいのは親子の思惑に違いがあるときです(2~5)。

コミュニケーションのなかで、本人(子供)は

「自分の意志を貫いたら、愛する親が悲しむ」

と理解してしまいます。

意志を貫いても、親(家族)との摩擦が、幸せをすり減らすように作用するのです。(はからずも最近までの朝ドラの流れみたいになってきました…。)

幸せをひっくり返すほど摩擦がつらいこともある

進路選択のときに「親と摩擦がある」状態がどれほどつらく感じるかは、環境の事情と本人の受け止め方、繊細さが決めると思います。自分の意志を貫いても、この摩擦があまりにもつらく感じられて幸せどころじゃない、ということはありうると思うのです。

よく「自分のための人生だ。親の言うとおりにして、親が死んだあとはなんのために生きるのか。後悔したら、死んだ親が何とかしてくれるのか」というセリフを耳にしますが、苦しんでいる人にとっては、自分の意志のままに生きる幸せをひっくり返すほどの摩擦の苦しみがそこにあるのです。

摩擦感は減っていくことがある程度期待できる

ただ、摩擦に一番傷つくのは、進路選択のその瞬間だと個人的には思います。

完全に分かり合うことはできなかったとしても、新鮮な悲しみや怒りを何十年も抱え続けることはお互いにかなり難しいですし、子供は時がたつにつれ名実とも独立した大人に近づいていくからです。

親も親で、年老いると頑固になるところもあると思いますが、自分の子育てと、育てた子供が選んだ道を肯定したい思いも湧いてくることが多いのかな、と周囲を見渡して思います。度を超えた毒親などの例外も残念ながらあるとは思いますが…

「自分の意志で生きたほうがいい」と言われる理由は、本人が大人になったり、摩擦の力そのものが小さくなったりして「だんだん摩擦がつらくなくなってくる」というところにも、実はあると思うのです。

同じ家族でも、「自分の親」と「自分の子」は話が違う?

同じ解決方法が通用しない

自分の家庭、自分の子供をもってからの人生選択はどうでしょうか。

親が新たな生き方を選ぼうとするとき、愛する子供が結果として悲しまないか、不幸にならないか、親と向かい合った時と同じことが気になります(=家族が幸せじゃなきゃ自分も幸せじゃないと思う気持ち)。

ただ「子供のこれからに与える影響は、自分の責任だ」という思いは、親と向かいあうときにはなかったものです。「最初が一番つらいから」という先ほどの話が全く通用しない気がします。

だけど、不満な毎日に巻き込まない

親との間では「貫くべき」と結論づけた自分の生き方選択ですが、結局子供のためには我慢しないといけないのでしょうか。

逆に「ママが幸せなら子供も幸せ」というのは本当でしょうか。「ママの幸せ」の構成要素に「子供の幸せ」が入っているということなら自明な気もしますが、あえて声高に言う意味もないと思います。そうでなければ簡単には証明できなさそうです。

ただ、少なくとも「ママが幸せではないのに子供が幸せということはない」とは言えそうです。親の不満な毎日に巻き込まれた子供が、幸せに過ごすことは難しいと思います。

「家族が幸せでなければ自分も幸せではない」と、結局は合わせ鏡になりました。

対子供バージョンの個人的解決法

このために、個人的には、何とか第三の解をつかみたいと思っています。子供を育てる環境を守りつつの自己実現です。

とはいえ、いっぺんにいろいろなことは重たすぎます。私が身軽になるために「これがなくても納得できるな」と思って優先的に捨てることにしたのは「若さ」と「仕事人としての自分に対する周囲の評価」です。

私にとっては、子供を育て、家計を守りながら、小さくても地味でも遅くてもいいのでとにかくやってみたいことにチャレンジできれば、それがすでに大きな幸せだと整理しました。

名前を出した仕事を今後する気もありません。私の仕事が誰かの役に立つことを願いますが、私という人間が仕事を頑張っているかどうか、誰かに判断してもらいたいとも今はもう思いません。

結局「家族が幸せじゃなかったら自分も幸せじゃない」という発想は、いかがなものなのか

あくまで私個人の落としどころですが、

  • 親との関係においては、そればかりにとらわれてはいけないこと
  • 子供との関係においては「自分が幸せじゃなければ家族も幸せじゃない」と必ずセットで考えないといけないこと

整理だけですので、新事実はないですね…。華々しさも爽快感もないですが、こんなオチになりました。不安になった時はまた自分で読んでみます。

もしも、それで違うことに思い至ってしまったら、そのときしないといけないことは、軌道修正だけです。いつも変えられるのは未来だけ、ということで…。都合いいな。