tokiwaの日々

子供の学習や発達に関する考察とアイデアのまとめ帳

子供の叱り方で悩む話1

こんにちは。本日もtokiwaです。

昨日のブログから24時間ほど経ち確信しました。やはり今、より「事件性」があるのが小学校入りたてほやほやの息子のほうなのだと。

いっぽう、在宅期間も四半期が見えベテランと化してきた娘はいうなれば凪です、今。

技術力皆無のごまかし

ここ数日、息子に関して非常に気にしていることがあります。

何かをごまかそうとすることが増えました。今週は、家では1日に2件くらい。
学校では連絡帳もまだなく(連絡帳にだってそんなことわざわざ書いてもらえないと思いますが)罪をさらに重ねているのかどうか、全くわかりません。

内容はささいなことばかり。ハンカチをまだランドセルに入れていないのに「入れた」と言う。帰宅してからまだうがいをしていないのに「した」と言う。

途中からは「ごまかせない」と思ってもらいたいがために、少し外堀を埋めるようなことも言ってみました。

ハンカチ入れた?「入れた!」。
じゃあ、お母さんランドセルの中みてもいい?「あ、待って」

うがいした?「した!」
洗面所のコップが乾いているけど、ほんとうにした?「あ、待って」

ごまかしの技術力どころか「前回追い詰められた」という学びすらも皆無で、知性が心配になるレベルです…

彼なりの学習なのだろうけど

元来、素直でおっとりして顔にすぐ出て小心者で、嘘もほとんどつけない子でした。

小学校に入ったら「ズバリごまかしが激しくなる」と予想していたわけではありませんが、環境変化で、一筋縄ではいかないことは増えるだろうなとは思っていました。

おそらくは、「小学生になったらもうお兄さんだ、きちんとしないといけない」とさんざん親や保育園の先生から発破をかけられて勇んで入学したところ「あれ?全然学校の先生おこらないじゃん。誰も細かいこと言ってこないじゃん」と気が付いたのだろうと思います。

それはそうです。小学校ってそういうところじゃない。生活習慣を親身になって指導してくれる保育園ではないし、まして何十何百という子どもたちがいるのに、本当に校庭から戻って全員が手を洗ったかどうかも、透明な下敷きを絶対に忘れていないかどうかも、逐一チェックしない。

1年くらい前は、珍しくごまかしがあったときに「もし誰も気が付かなくても、あなた自身は気が付いているよ。誰かに言われなくても、ずっと気になるでしょう」というと、何度もうなずきながら涙していたものでした。

今はそれよりも、新しい環境でどれだけ楽をしてもOKなのかが最大の関心事のようです。生き物としては合理的になってきたなと妙に感心してしまう部分もあります。

大人にとっての嘘

「嘘はいけない」その理由は、もちろん良心に響いてほしいところですが、それだけに訴えるのは限界があるなと感じました。

とはいえ「バレて叱られる」から嘘がよくない、と思ってもらっても困るのです。

  • バレても叱ってくれない人もいる。そのまま黙って離れていく人もいる。
  • 逐一見ているわけでもなかったけど、ふと目を遣ったらごまかしていた。その1回で信頼関係の全てが失われた。

正義に照らして、そもそも嘘はよくない。それでも嘘をついたなら、こういうリスクをすべて自分が背負うことになる。

変な言い方ですが、「それでもいい」とそのリスクと責任を負える大の大人が嘘をつくのは、もう周りがとやかく言うことではないと個人的には思うのです。

嘘がもたらすもの

ただその責任を理解し背負うことができない子供時代、親は「良心」とともに、「嘘がもたらすもの」をどうやって教えていけばいいのか。

  1. とにかく片っ端から検挙する→「お母さんだけは厳しいけど、よそではどうせバレないからOK」と思われては困る
  2. 私があえて「あなたはいつも嘘をつくからなぁ」と息子の言葉を信じず、信頼を失う疑似体験をさせてみる→さすがに親としてもやっていいことと悪いことがあるというか、親子の信頼関係に本格的なヒビが入りそう
  3. 「せっかくの学校で悪いことを覚えてくるなら、もう学校に行かなくていい」と一度だけ明確に伝える

どれもいいことばかりではありませんが、「嘘をついていいかどうかは環境が決めることではない」ということを今は何より伝えたく、おそらく次に何かあれば3を選択すると思います。

子育ての悩みが複雑化して「ああ子供が育っているんだな」というしみじみした思い半分、「でも1回1回のやりとりでいい加減なことはできないな」というストレスまじりの責任も強く感じます。

いつか読み返したときに、今日の私に「大丈夫、いい子に育ってるよ」と笑えるように、日々向かい合いたいところです。