tokiwaの日々

子供の学習や発達に関する考察とアイデアのまとめ帳

偶然を師とする話

こんにちは。本日もtokiwaです。

小1息子は今週土曜登校があり、長い1週間がなんとか無事に終わりました。

じつは無事じゃなかったものもある

私は年を重ねるごとにいい加減さを増してきたタイプで、これは「正直どうでもいい」くらいに思っていることではあるのですが、見出しのとおり無事に週末を迎えられなかったものがあります。

それは息子の国語の教科書。

本日、ランドセルの中で一部が水に浸かった状態で発見されました。

なぜこんなことになったのか

水は、コロナ対策のために家庭から持たされている水筒のフタの閉め忘れで、ランドセルの中で飲み残しがこぼれたものでした。

濡れ方からみて、水がこぼれたのは、帰宅して、縦にしょっていたランドセルを横にした後のようでした。帰宅後ランドセルを床に放置したままゴロゴロしていた息子を促して開けさせたら、もう教科書に水が染み込んでいました。

ところで、彼が今日水筒のフタを閉め忘れてしまったのには理由があります。

それは初めて持っていく水筒だったからです。いつも持って行っている水筒とはフタの仕組みが違い、うっかりしてしまったようです。

そして、その使い慣れない水筒を持って行ったのにも理由があります。

昨日、家から持って行ったいつもの水筒を学校において来てしまったためです。

大騒ぎするほどではないにせよいろいろな失敗が重なって驚くような結末となり、私がドライヤーで教科書を乾かす傍らで、息子はさすがに涙目でした。

先回りの小言

「忘れ物しないでね」

「水筒のフタ、きちんと閉めてね」

「帰ってきたら早くランドセルの中身を空けて片づけてね」

繰り返してきたこれらすべての「母の小言」という予防線をかいくぐって、水筒の水は教科書を濡らしたわけで、母の身としては「いわんこっちゃない」の一言なのですが、言われただけでは響かなかった小言たちも、今回きっとそれなりの重みと手触りを伴ったと思います。

この程度の失敗で3つも学ぶなら安いかもしれないな、ともこっそり思う母でした。

やさしい偶然が先生になってくれる日々を祈る

逆に、小言に重みと手触りを持たせるためにわざと失敗させるようなことはなかなかできないので、偶然がよい先生になってくれました。

事故につながりかねないことなど、世のなか失敗が許されないこともあるわけで、そういう危険を回避できるように、先回りしていろいろ知ってもらいたい気持ちは変わりません。

そういえば今日は、ベランダから息子の帰ってくるのを見ていたら、息子が道を渡ろうとしたときに、ちょうど後ろから車が来ました。息子に気が付き減速してくださる善良なドライバーさんで、息子も落ち着いて止まって待つことができました。そうやって、私の小言は立体化されていくのかもしれません。感謝とともに、これからもやさしい偶然が先生になってくれる日々を祈りました。