tokiwaの日々

子供の学習や発達に関する考察とアイデアのまとめ帳

時間がとけていく話

こんにちは。本日もtokiwaです。

最近、少し寝不足傾向で疲れがたまっていることに気が付き、今日のテーマはこれにしようと思います。

忙しくなくなってきたはずなのに忙しい

私は会社を退職し家を拠点に生活や仕事を展開することを決めた人間ですが、その狙いの一つに「忙しさをコントロールすること」がありました。

仕事の忙しさの最大値を抑える。前向きになれないほどの仕事量を抱え込まない。家庭のことでバタつくときには仕事を減らせるようにする。など。

実際、雇用主も顧客もいない今、仕事の仕込みと育児・家事しかハンドリングしていないのに、なぜ睡眠が不足するのか。

今までせずに済ませてきた「子供の勉強に毎日たっぷり時間をとる」「育児家事をワンオペでやりきる」というあたりの負荷が増しているのは間違いないですが、そうでないところにも薄っすら原因を感じたので、そちらにフォーカスして整理したいと思います。

過去との比較

過重労働だった会社員時代は、よく比喩で「自転車操業」とか「皿回し」とか言いますが、まさにそういう状態でした。やり忘れたりやり方をミスすれば大問題になることを山のように抱えていました。本当はよくないのですが、スピード出しすぎ運転のように「私、これでミスしていないのただの奇跡だな」とよく思っていました…。

とにかく会社でも家でも分単位ですべきことが溢れかえっていて、最速で終わる段取りや手順を考えなければ「破綻する」という状態でした。

今は「破綻する」という切迫感はないなと思います。最速で終わる段取りが組めなくても、せいぜい「私今日1日でこれしかできてない」とか日中「眠いな」と思う程度で、「誰かに高額の損失を発生させる」とか「自分の社会的地位が暴落する」という不安からフリーになりました。

そのために「死ぬ気で合理化する」ということはなくなったなと思います。

家事も仕事も合理化すれば、実行するときのエネルギー消費が最小化できますが、「合理化する行為」自体はとてもエネルギーが要ることだと思っています。

死ぬ気で合理化しなくても運営できる日常を前に、死ぬ気になる必要性が薄れたということかもしれません。でも、その結果疲れたりしているという皮肉。

合理化しないことを、私は「時間をとかす(融かす)」と呼んでいます。本来ここに残っていたはずの時間が、意図せず流れ失われてしまうことを表しているつもりです。

時間をとかすことの贅沢と不幸

時間をとかさず温存する努力、「合理化」のためのエネルギーは馬鹿にならないので、そのエネルギーを使わなくて済むということは私にとっては贅沢であったりもします。そしてその贅沢のせいで、時間を失うし、こなした仕事量の少なさに自己嫌悪するというトレードオフが存在します。

この問題から解放されるためには、

  • 合理化にどれだけエネルギーを取られると自分の幸福度が下がり始めるか
  • 1日に最低どのくらいの家事・育児・仕事の量がこなせると自己嫌悪に陥らずに済むか
  • 睡眠・余白の時間をどれだけ残したいか

これらを明確にすべきと改めて思いました。

3者ありますので、折り合わない可能性はまだ残っていますが…。謎の疲労感の容疑者を整理し言語化しただけでも一歩前進です。

 

心身とも「穏やか」で「健やか」を実現しようとする毎日が続きます。